『坊っちゃん』というタイトルを知らない人は、ほとんどいない。ただ、筋を最後まで言える人は案外少ない。読んだことがないまま「知っている本」になっている一冊の、あらすじを結末まで書く。最後の一文がどこに着地するかまで触れるので、何も知らずに読みたい場合は、短いあらすじの節で止めて原典に進んでほしい。
この記事が明かす範囲(結末の扱い)
本記事は、赤シャツたちとの決着、「おれ」が学校を去った後のこと、そして物語を閉じる最後の一文まで書く。『坊っちゃん』は結末を知っていても損なわれにくい小説だが、線引きは示しておく。「短いあらすじ」の節は赴任後の騒動が始まるあたりで止めてあるので、そこまで読んで原典に移れば、結末は伏せたまま読み始められる。
短いあらすじ(結末なし)
「おれ」は生まれつきの無鉄砲で、子どもの頃から損ばかりしてきた江戸っ子である。親からも兄からも見放され気味に育つなか、下女の清だけが「おれ」の真っ直ぐな気性を買い、行く末を案じてくれた。
物理学校を卒業した「おれ」は、四国の中学校に数学教師として赴任する。待っていたのは、生徒たちの執拗なからかいと、一癖ある同僚たちだった。「おれ」は着任早々、校長を狸、教頭を赤シャツ、画学の教師を野だいこ、英語の教師をうらなり、数学の主任を山嵐と、あだ名で呼び分けていく。宿直の夜には生徒に蒲団へイナゴを仕込まれ、真っ向からやり合うことになる。学校という場所の建前や駆け引きと、「おれ」の一本気は最初から噛み合わない。
結末までの流れ
ここから先は結末に踏み込む。
騒動の中心には、教頭の赤シャツがいる。赤シャツは、うらなりの婚約者だったマドンナに横恋慕し、体よくうらなりを遠くの学校へ転任させてしまう。表向きは丁寧で理屈の通った顔をしながら、裏で人を動かすやり方に、「おれ」と山嵐は我慢がならない。二人は一度は仲違いするが、赤シャツの狡さが見えるにつれて手を組むようになる。
祝勝会の日の乱闘が新聞沙汰にされ、責めを負わされたのは山嵐だけだった。辞職に追い込まれた山嵐と「おれ」は、赤シャツと野だいこの行状を押さえるため温泉の町で張り込みを続け、芸者連れの一夜の現場を押さえて二人に鉄拳の制裁を加える。理屈では勝てない相手に、身体で決着をつけた形である。
「おれ」はその足で辞表を出し、四国を離れて東京へ帰る。街鉄の技手という職を得て、清とふたたび暮らし始める。やがて清は肺炎で亡くなる。死ぬ前の願いのとおり、清は「おれ」の家の菩提寺に葬られた。物語は、その墓の場所を告げる一文で終わる。
人物と関係
- おれ — 語り手。無鉄砲で駆け引きができない。周囲からは「坊っちゃん」のまま扱われる。
- 清 — 「おれ」の家の下女。ただ一人、「おれ」をまっすぐに信じて可愛がった。
- 山嵐 — 数学の主任。「おれ」と衝突しながら、最後には共に赤シャツへ立ち向かう。
- 赤シャツ — 教頭。丁寧な物腰の裏で人を動かす、物語の敵役。
- 野だいこ — 画学教師。赤シャツの太鼓持ち。
- うらなり — 英語教師。婚約者を奪われ、遠方へ転任させられる。
- 狸 — 校長。事なかれ主義の調停役。
- マドンナ — うらなりの婚約者だった町の美人。赤シャツに乗り換える。
この作品が問うもの(一つの読み)
『坊っちゃん』は痛快な勧善懲悪として語られることが多い。ただ、筋を最後まで並べると気づくことがある。「おれ」は勝負に勝っていない。赤シャツは教頭のまま学校に残り、職を失って町を去るのは「おれ」と山嵐の側である。制裁の爽快さと引き換えに、正直者が損をする構図は最後まで動かない。
そこで一つの読みを置きたい。この小説は、痛快譚の皮をかぶった、清への長い報告だと読める。物語の語りは一貫して、誰かに向かって話しかけるような口調で進み、要所要所で清の手紙や清の言葉が差し挟まれる。世間の物差しでは負けて帰ってきた「おれ」を、変わらず信じた人がひとりだけいた。最後の一文が痛快な場面ではなく墓の場所で終わるのは、この物語の宛先が最初から清だったからだ——と読むと、笑いながら読んできた頁の手ざわりが少し変わる。
もちろんこれは一つの読みである。江戸の気風と明治の学校制度の衝突として読む線も、単純に日本語の速さを楽しむ読み方もあって、どれも間違いではない。
原典の一節
冒頭の二文を、原文のまま引く。
親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。
一文目で性格を言い切り、二文目でいきなり実例に飛ぶ。この速度が最後まで落ちない。そして、結びの一文はこうである。
だから清の墓は小日向の養源寺にある。
疾走してきた語りが、墓の前で静かに立ち止まる。冒頭と結びを並べて読むだけでも、この小説が笑いだけの本ではないことが伝わるはずである。
引用は青空文庫版に拠った(底本: 『ちくま日本文学全集 夏目漱石』筑摩書房)。全文は図書カードから無料で読める。
午前一時の窓際の席で、センは開いた頁の上から動かなかった。タイトルだけ知っている本は、いつでも読める気がして、いつまでも読まない。今夜は冒頭の一章だけでいい。清が出てくるところまで読めば、この本はもう「知っている本」ではなく「読んでいる本」になる。