映像で観た、漫画で読んだ、書名の四文字だけずっと知っている——『人間失格』は、原作を開く前に「知って」しまいやすい小説である。この記事は、太宰治の原作のあらすじを結末まで書く。主人公の最後の姿まで触れるので、白紙で読みたい場合は途中で止めて原典に進んでほしい。そして先に一つだけ伝えたい。この小説の一番の仕掛けは、筋ではなく「誰が語っているか」にある。
この記事が明かす範囲(結末の扱い)
本記事は、三つの手記の中身、主人公の転落の経緯、手記が終わったあとに「あとがき」が明かすことまで、すべて書く。作中には心中と薬物依存が出てくるため、その部分は事実関係だけを短く書き、細部には立ち入らない。
結末を伏せたい場合は、次の「短いあらすじ」の節までで止めて、青空文庫の原典をはしがきから読み始めればよい。
短いあらすじ(結末なし)
小説は、作者でも主人公でもない「私」が、ある男の三葉の写真について語る「はしがき」から始まる。幼年、学生、そして年齢のわからない三枚目。写真の男はどれも奇妙に笑っていて、「私」はその印象を不気味だと述べる。
続く三つの手記が、写真の男——大庭葉蔵自身の記録である。東北の裕福な家に生まれた葉蔵は、幼い頃から人間の営みがわからず、空腹という感覚さえ実感できない。そのくせ人に嫌われることを極度に恐れ、道化を演じることでかろうじて人とつながってきた。おどけた失敗をわざとやってみせ、家族も級友も笑わせながら、内側では常に怯えている。あるとき同級生の竹一に道化を見抜かれ、葉蔵の薄氷の均衡は崩れ始める。
結末までの流れ
ここからは結末まで書く。
上京した葉蔵は、画学生の堀木に連れられて酒と煙草と左翼運動の周辺を知り、都会の夜を漂うようになる。やがてカフェの女給ツネ子と鎌倉の海で心中を図り、ツネ子だけが死に、葉蔵は生き残る。取り調べを受けたのち、学校からも家からも切り離された葉蔵は、家の使いであるヒラメの監視の下に置かれ、そこからも逃げ出す。
雑誌記者のシヅ子とその幼い娘のもとに転がり込み、漫画を描いて暮らす時期もあったが、自分がいることでこの親子の幸福を壊すと感じて姿を消す。京橋のバーの二階に身を寄せたのち、向かいの煙草屋の娘ヨシ子と出会う。人を疑うことを知らないヨシ子の無垢に打たれ、葉蔵は結婚し、酒をやめ、いっとき人間らしい生活に近づく。
その均衡は、ヨシ子が出入りの商人に汚される事件で壊れる。葉蔵が打ちのめされたのは、ヨシ子の持つ「信頼」そのものが踏みにじられたことだった。ふたたび酒に戻り、喀血し、薬屋で得たモルヒネに依存していく。最後は堀木とヒラメの手で脳病院に入れられ、葉蔵は自分をもう人間ではないと断じる。書名の四文字は、この場面の自己宣告から来ている。退院後は兄の計らいで故郷近くの温泉地の家に移され、老女中と二人、廃人のように暮らす。手記はそこで終わる。このとき葉蔵は二十七歳、白髪が目立つ姿になっている。
そして「あとがき」で視点が戻る。「私」は京橋のバーのマダムから手記を見せられた経緯を語る。マダムは葉蔵を、酒さえ飲まなければ——いや飲んでも、神のように良い子だったと懐かしむ。手記の中で自分を失格と断じた男が、外側の記憶の中では違う姿で残っている。この食い違いのまま、小説は閉じる。
人物と関係
- 大庭葉蔵 — 手記の書き手。道化でしか人とつながれない。
- 堀木 — 悪友。葉蔵を夜の世界に引き入れ、最後まで出入りし続ける。
- 竹一 — 道化を見抜いた同級生。葉蔵の絵の才能に触れる数少ない人物。
- ツネ子 — カフェの女給。葉蔵と海へ入り、ひとりだけ死ぬ。
- ヒラメ — 実家の使い。監視役として葉蔵を預かる。
- シヅ子 — 雑誌記者。娘とともに、いっとき葉蔵の居場所になる。
- ヨシ子 — 煙草屋の娘、のちの妻。疑うことを知らない「信頼」の人。
- バーのマダム — 京橋の止まり木の主。あとがきで手記を「私」に渡す。
この作品が問うもの(一つの読み)
「人間失格 意味」と検索するとき、知りたいのは「結局この小説は何の話なのか」だろう。よく言われるのは、社会に適応できない魂の告白、作者の自画像という読みである。
ここでは一つの読みを置きたい。『人間失格』は、失格の証明ではなく、判定の食い違いを見せる小説だと読める。葉蔵は手記の中で自分を裁き続け、最後に失格を宣告する。しかし小説はそこで終わらず、あとがきでマダムの記憶を置く。手記だけならこの本は自己断罪で閉じるが、額縁が閉じるのは「いい子だった」という他人の声である。自分が自分に下す判定は、いつも一番厳しく、そして案外あてにならない——構成そのものがそう言っているように読める。書名を打ち消すためにこそ、この額縁が要ったのだ、と。
これは一つの読みである。無垢なものが壊れていく過程の記録として読む線も、発表と同じ年に世を去った作者の最晩年の作として、その生涯に重ねて読む線もある。どの読みを取るにせよ、はしがきとあとがきを飛ばすと、この小説は半分しか読んだことにならない。
原典の一節
はしがきの最初の一文を、原文のまま引く。
私は、その男の写真を三葉、見たことがある。
小説全体が、この距離——他人の眼——から始まる。そして第一の手記の書き出しは、こうである。
恥の多い生涯を送って来ました。
自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。
外からの眼と、内からの声。二つの書き出しを並べて読むだけで、この小説の仕組みの半分はもう手の中にある。
引用は青空文庫版に拠った(底本: 『人間失格』新潮文庫、新潮社)。全文は図書カードから無料で読める。
雨の午前零時半、カウンターの奥で、チヒロは「観たことはある」一冊の原作の薄さに驚いていた。書名の重さに身構えて開けずにいたなら、今夜ははしがきだけでいい。三葉の写真の描写を読み終えたとき、この本は書名の四文字より、ずっと立体的なものになっているはずである。