BGK-YM-005SYNOPSIS

『羅生門』のあらすじ

教科書で読んだはずの『羅生門』の筋を思い出せず、黒澤明の映画の記憶と混ざったまま検索している。

『羅生門』のあらすじの要点と、結末の扱いを表した図
この記事が明かす範囲と、結末の扱いを先に示すための図です。

喫茶の短答

今夜の一冊

『羅生門』は、職を失った下人が荒れ果てた門の下で雨宿りをするうち、楼上で死人の髪を抜く老婆に出会い、その言い分を聞いて老婆の着物を奪い闇に消えるまでを描く短編である。本記事は結末まで書き、最後の一文「下人の行方は、誰も知らない。」の読みを一つ示す。

向いている夜短編や一場面から、今夜そのまま読み直せる内容です。

この記事が明かさない範囲結末を知らずに読みたい場合は、この記事を閉じて原典から読む。文庫で十数頁の短編なので、そのほうが早い

たどり着く状態
筋と結末を思い出し、今夜原典を最後の一文まで読み通せる状態
今夜の目安
10分
読み返しの目安
底本・リンク先の変更時に確認
確認日
次回確認

タイトルなら誰でも知っている。黒澤明の映画を思い浮かべる人も多い。ところが芥川龍之介の小説『羅生門』の筋を聞かれると、雨と門のほかに何も出てこない——この記事は、その先の欠けた部分を結末まで書く。文庫で十数頁の短編だから、まっさらな気持ちで読みたい場合は、ここで閉じて原典から読むほうが早い。

この記事が明かす範囲(結末の扱い)

老婆の言い分、下人の選択、最後の一文まで、すべて書く。この短編は結末の一文が要なので、筋だけなぞって肝心の場所を伏せると、かえって作品の姿が伝わらないと考えるからである。

先に一つ、記憶の整理をしておく。黒澤明監督の映画『羅生門』(1950年)は、題名と荒れた門の舞台をこの短編から借りているが、筋の中心は同じ芥川の短編「藪の中」である。「食い違う証言の話だった気がする」という記憶は映画のもので、小説の『羅生門』は、下人と老婆だけのもっと小さな話だ。

次の節は楼の上に登る手前で止めてある。そこまで読んで原典に移れば、結末は知らずに済む。

短いあらすじ(結末なし)

ある日の暮れ方、平安京の正門である羅生門の下で、若い下人が雨やみを待っている。都は地震や火事や飢饉が続いて荒れ果て、門は修理もされず、引き取り手のない死人が捨てられる場所になっている。

下人は数日前、長年仕えた主人から暇を出された。明日の暮らしのあてはなく、盗人になるほかないと頭では分かっていながら、それを選ぶ勇気が出ない。頬の大きな面皰を気にしながら思案するうち、夜を明かす場所を探して、死人ばかりの楼の上に続くはしごに足をかける。上には、かすかに火の光が揺れていた——結末を知りたくない人は、ここで原典に移ってほしい。

『羅生門』は1915年(大正4年)、雑誌「帝国文学」に発表された。平安末期の説話集『今昔物語集』の説話に材を取ったとされる。

結末までの流れ

楼上には死骸がいくつも転がり、その中にうずくまった老婆が、若い女の死骸から長い髪の毛を一本ずつ抜いている。下人は恐怖と、それが何の仕事か分からないうちに膨らんでいく激しい憎悪——あらゆる悪を許すまいとする心——に駆られ、太刀を突きつけて老婆を組み伏せる。

命乞いをした老婆は、問われるまま言い分を語る。抜いた髪はかつらにして売る。悪いことかもしれないが、ここにいる死人はみな、それくらいのことをされてよい人間だ。髪を抜いていたこの女は、生前、蛇を干し魚だと偽って売り歩いていた。しかし自分はこの女を悪いとは思わない。そうしなければ飢え死にする、仕方のないことだからだ。そして自分のしていることも、同じく仕方のないことだ——。

聞き終えた下人の心から、さっきまでの迷いが消える。

では、己が引剥をしようと恨むまいな。己もそうしなければ、饑死をする体なのだ。

下人は老婆の着物を剥ぎ取り、しがみつこうとする老婆を死骸の上へ蹴倒して、はしごを駆け下りる。裸にされた老婆が門の下をのぞき込んだとき、外にあるのは黒い夜だけである。物語は次の一文で閉じられる。

下人の行方は、誰も知らない。

人物と関係

  • 下人 — 主人から暇を出された若い男。盗人になる勇気が出ないまま門の下にいる。
  • 老婆 — 楼上で死人の髪を抜き、かつらを作って売ろうとしている。
  • 髪を抜かれる女の死骸 — 生前は蛇を干し魚と偽って売っていたと、老婆が語る。

登場するのは実質この三者だけで、ほとんど密室劇に近い。悪を憎む者、悪を働く者、かつて悪を働いた者が一つの楼上に重なり、憎む側だった下人が最後に悪を働く側に移る。この移動そのものが筋である。

この作品が問うもの(一つの読み)

下人は最初、老婆の行いに燃えるような憎悪を覚えた。その同じ男が、数分後には老婆の着物を剥いで消える。間にあったのは、老婆の言い分だけである。

一つの読みとして、こう受け取れる。「生きるためなら仕方がない」という論理は、聞いた者に免罪符として渡ってしまう。下人は老婆の論理を退けたのではなく、そっくりそのまま老婆自身に向け直した。悪を裁くつもりで聞いた言葉が、悪を選ぶ勇気に変わる——下人に欠けていたのは善悪の判断ではなく勇気で、手に入ったのが悪の勇気だった、という皮肉である。

これも一つの読みで、正解ではない。飢饉の世で善悪を論じることの空しさを描いたと読む線も、誰の内にもある反転をたった数頁で見せた話法の話として読む線もある。どれで読むかは、原典に戻ってから決めればよい。

原典の一節

書き出しの二文を原文のまま引く。

ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。

説明も前置きもなく、いきなり一人の男を門の下に置く書き出しである。この静かな入口が、最後の「下人の行方は、誰も知らない。」と対になっている。始まりでも終わりでも、語り手は下人に寄り添わず、少し離れた場所から眺めている——そう気づいてから読み直すと、同じ頁の温度が変わる。

引用はいずれも青空文庫版に拠った(底本: 『芥川龍之介全集1』ちくま文庫、筑摩書房)。全文は図書カードから無料で読める。

午前一時、棚の前で芥川の文庫を三冊抱えて決めかねていたチヒロの前で、センはいちばん薄い一冊の頁の上に座った。理由は語らない。猫だから語れない。それでも今夜の一冊はそれで決まりである。短編だから、読み直しに計画は要らない。雨の門から最後の一文まで、今夜そのまま通り抜ければ足りる。

WHAT STAYS SEALED

この記事が明かさない範囲

  • 結末を知らずに読みたい場合は、この記事を閉じて原典から読む。文庫で十数頁の短編なので、そのほうが早い

BEFORE OPENING THE BOOK

頁を開く前の三つの約束

明かす筋と結末を思い出し、今夜原典を最後の一文まで読み通せる状態
伏せる結末を知らずに読みたい場合は、この記事を閉じて原典から読む。文庫で十数頁の短編なので、そのほうが早い
原典へここに書く読みは一つの読みである。納得できないときは、青空文庫などの原典の頁へ戻る

TONIGHT'S PAGE

チヒロが今夜開く頁

青空文庫で『羅生門』を開き、最後の一文まで一気に読む

SOURCES

原典・一次資料(青空文庫など)

  1. 羅生門(図書カード)青空文庫 · 2026/8/13確認

VISIBLE FAQ

よくある質問

黒澤明の映画『羅生門』と同じ話か。

同じではない。映画は題名と荒れた門の舞台をこの短編から借りているが、筋の中心は同じ芥川の短編「藪の中」である。映画の記憶で筋を思い出そうとすると混ざるのはそのためで、小説の『羅生門』は下人と老婆だけの話である。

『羅生門』は青空文庫で無料で読めるか。

読める。底本は『芥川龍之介全集1』(ちくま文庫、筑摩書房)で、底本情報は図書カードに記載されている。文庫で十数頁の短編なので、一晩で最後まで読める。

最後の一文はどういう意味か。

「下人の行方は、誰も知らない。」で物語は閉じられ、語り手は下人のその後を一切語らない。悪を選んだ人間のゆくえを読者に手渡して突き放す結び方だと読めるが、これは一つの読みであり、ほかの受け取り方もできる。

元になった話はあるのか。

平安末期の説話集『今昔物語集』の説話に材を取ったとされる。芥川は古典から題材を得た短編を多く書いており、その入口としても読める。